『レナードの朝』で最も心に残ったのは、劇的な「目覚め」よりも、ロバート・デ・ニーロが動かずにそこにいる時間でした。
介護施設で母を見舞った経験があるからこそ、患者の姿や周囲の声かけが映画の演技には見えませんでした。
本作は、神経科医オリバー・サックスの症例記録をもとにした作品です。
この記事では、実話の背景、介護経験から感じた演技、そして『アルジャーノンに花束を』との違いを考えます。
結論:『レナードの朝』は実話をもとにした映画
映画『レナードの朝』は、神経科医オリバー・サックスが実際の患者たちとの経験を記した著書『目覚め』をもとに作られています。
実話をもとに、奇跡のような出来事を描きながら、限られた時間をどう生きるかという問いをどう生きるかということを考えさせられます。
参考資料
Oliver Sacks公式:https://www.oliversacks.com/oliver-sacks-books/awakenings/
| 公開 | 1990年 アメリカ |
| 監督 | ペニー・マーシャル |
| キャスト | ロバート・デ・ニーロ ロビンウィリアムズ |
| 原作 | オリバー・サックス |
映画『レナードの朝』あらすじ(ネタバレあり)
『レナードの朝』は、長い眠りのような状態から目覚めた患者と、彼を治療する医師の姿を描いたヒューマンドラマです。
1969年、ニューヨークの病院に赴任した医師セイヤーは、長年、意識や身体の自由を失った患者たちと出会います。
その一人が、30年近く動けない状態で過ごしてきたレナードでした。
セイヤーは新薬による治療を試みると、次第にレナードに信じられない変化が起こります。
目を覚まし、自分の意思で話し、歩き、病院の外の世界を楽しめるようになったのです。
レナードは新しい人生を取り戻し、恋心も生まれます。
しかし、喜びに満ちた日々は長く続かずに、薬の効果が薄れレナードの身体はもとに戻ってしまい再び自由を失っていきます。
医師セイヤーは患者を救いたいと願いながらも、おもいどおりにならない現実に向きあいます。
本作が描くのは、限られた時間を生きること、人とこころを通わせること、そして一人の人間として尊重される大切ださです。
レナードの目覚めは、セイヤーの人生にも深い変化をもたらします。
介護経験があるから感じた「動かない演技」
今回、俳優ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズ両者の繊細で説得力ある演技に圧倒されました。
新任の医師セイヤーは、穏やかな研究職上がり、という雰囲気を違和感なく演じるロビン・ウィリアムズはまさに本物の医師のようです。
ロビン・ウィリアムズは、繊細な中にも静かな情熱を秘めた役にピッタリ。
患者のため、昼夜を問わず病院に駆けつけるなどはとても自然でした。
劇中、レナードを演じるロバート・デ・ニーロは、身体の動きを中心に、静から動へそれからまた静へと変化しますが、それは受け止めるロビン・ウィリアムズの安心感あってのこと。
レナードを演じたデ・ニーロは、身体を使った表現はあまりにリアルで観ていて切なく、思わず手を貸したくなるような迫真の演技です。
前半は、動けない、しゃべれない、外側からの刺激に反応できない、動きのない演技をする。
実際、私も介護施設に母を見舞いに行ったときに、似たような光景をよく見てきましたが、映画は、まったくリアルでした。
例えば、車いすに座っていますが、ずっと前にかがんだ姿勢で動かない入所者の人たち。
施設の人たちは、入所者の反応がなくても明るく声掛けをしている。
それと同じような環境やその中に、デ・ニーロがいても違和感がないし、表情はないですが、何か言われているような気がしました。
晩年、私の母も言語機能を失ったので、同じ感覚を思い出しました。
ロバートデニーロの演技の幅を感じさせる映画『マイインターン』に関しても感想を述べています。よかったら見てください。

同時に、ドクター・セイヤーを演じたロビンウィリアムズは、映画『今を生きる』でも静かで情熱的なキャラクターで、教師やドクターなどはまり役です。
ロビンウィリアムズ『今を生きる』に関しては、以下の記事で感想を述べています。
よかったら見てください。


実話と映画で同じ点・違う点
実話と同じ点
実際に、オリバー・サックスは、重い神経症状を抱えた一部の患者に投与した薬で劇的な改善が見られました。
映画のレナードのように、長い年月を経て動きや会話を取り戻した患者がいたことは、実際の記録に基づいています。
しかし、改善は必ずしも長続きせず、副作用や症状の再発も問題となりました。
実話と違う点
映画では、患者レナードと医師セイヤーの関係を中心に、目覚めた喜びや再び自由を失う悲しみがドラマチックに描かれています。
セイヤーは原作者サックスをモデルにした人物ですが、映画の登場人物や出来事のすべてが実話どおりというわけではありません。
物語として伝わりやすくするため、人物描写や出来事には脚色が加えられています。
『アルジャーノンに花束を』との違い
話の設定や病状の変化の流れが似ている『アルジャーノンに花束を』との共通点や異なる点を考えてみます。
まず、共通しているのはテーマです。
「失われていたものを取り戻す」「それが一時的なもので、その後に喪失が訪れる」
失われていたものが、大きければ大きいほど、喪失感も大きい。
結構みんな意識しないで持ってるものなのに、彼らは持っていない。
だから、私たちには気づきにくいものを大事だと教えてくれる。
物語では、短い期間での変化なので劇的ですが、長い時間で少しずつ私たちも何かを得て、そして失っているのかも知れない。
『レナードの朝』と『アルジャーノンに花束を』の二つの映画のアプローチは違いますが、このテーマは共通している大きなものだと思います。
ふたつの作品は、似ているといわれる一方で、大きな点で異なります。
『アルジャーノンに花束を』では、一時的に獲得するものは、知能の向上と退行です。
一方、『レナードの朝』では、身体の不自由から解放されること、そしてまた身体が不自由に戻ってしまうことが中心です。
前者は、知能や知性の変化、後者『レナードの朝』は、身体の自由度の変化、さらに意識はあっても眠っている状態なので時間の変化です。
『レナードの朝』の場合、30年間眠っていて目覚めたときの戸惑いと取り戻そうとする焦りなど具体的に切実に時間について考えさせられます。
日本昔話でたとえると浦島太郎の時間感覚と同じく、30年前の意識で現在を見る感覚だと思います。
私も、他人事ではないです。
また、『レナードの朝』は、医療ドラマの側面もあります。
『アルジャーノンに花束を』は、知能を扱っているので前者に比べると文学作品のような雰囲気です。
どちらも、テーマは同じでも異なる痛みを生み出している作品です。
先ほど保留していた感想ですが、あまりに重い問題なので身近な例で考えてみます。
一度だけ最高の料理を食べられるとして、食べたら無くなるから、食べないそんな選択肢はない。
目の前から無くなっても、幸せに食べた記憶は残る。
映画『アルジャーノンに花束を』に関しては、以下の記事で感想を述べています。
よろしかったら見て下さい。

まとめ:失っても、経験した時間は残る
映画『レナードの朝』を観て心に残ったのは、失われた時間と、取り戻した時間の意味です。
レナードは長い眠りのような状態から目覚め、人と話し、歩き、恋をします。
初めて見る、体験することに喜び、自由に生きることの素晴らしさを知ります。
しかし、薬の効果が切れると再び身体の自由を失っていきます。
手に入れた自由をまた奪われることは、私なら絶望してしまいます。
しかし、限られた時間でも自由や人とこころを通わせたこと、その経験は消えないと感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。

