映画 『永遠の0』は、零戦搭乗員宮部久蔵(岡田准一)とはどんな人物だったのかを、証言から浮かび上がらせていく物語です。
もう一人の主人公佐伯健太郎(三浦春馬)は、実の祖父宮部久蔵の足跡を追っていく中で大きな疑問を持ちます。
家族のため、『生きて帰ること』に強く執着したのに、最後はなぜ逆の選択をしたのかです。
答えを求めていくにしたがって、宮部が何を大切に生きてきたかを考えさせてくれる映画です。
単純な「戦争賛美」でも「反戦映画」でもありません。
不条理でしかも理不尽な条件でも受け入れて闘います、冷静に穏やかに。
頭も心も刺激される映画です。
後半に、あらすじ感想や監督についてまとめてありますので、よろしくお願いいたします
映画『永遠の0』あらすじ
公開 2013年 日本
原作 百田尚樹『永遠の0』
監督 山崎貴
主演 岡田准一
登場人物 宮部久蔵 岡田准一
松乃 井上真央 妻
佐伯健太郎 三浦春馬
慶子 吹石一恵 姉
清子 風吹ジュン 母 (松乃の娘)
(戦争中) (現代)
戦友 井崎 濱田岳 橋爪功
景浦 新井浩文 田中泯
大石 染谷翔太 夏八木勲
物語は、祖母松乃の死をきっかけに、佐伯健太郎(三浦春馬)に実の祖父がいたことを知ったことから始まります。
いきなり蛇足ですが、私も幼かった頃、地方の親戚のうちに泊めてもらうと、名字の違う人が同居してるのを子供心に不思議に思ってました。
今思えば、いろんな状況の夫婦がいても不思議ではなかったんです。
あらすじに戻って、健太郎と慶子が元戦友たちの話をたよりに足跡をたどると、祖父の人物像は初めの頃は、芳しくなく「臆病者」や「腰抜け」などと揶揄されました。
しかし、姉慶子とあきらめずに証言を集めていく内に、ネガティブな反応の意味が分かってきます。
祖父の考えは、家族のために生きて帰ることで、当時の日本の価値観では異端で受け入れらない。
現代の日本と比べて健太郎は思いを巡らせていきます。
彼とともに観客も80年ほど前の日本と現代を行き来しながら、いつの間にか当時の空気感に引き込まれていきます。
読者の中にもこの映画の当時の様子を祖父母や親類に聞いたことある人はけっこういるのではないでしょうか。
大東亜戦争はまだ遠い時代の歴史ではないのです。
映像面では『永遠の0』は、戦闘シーンはさすがVFXで迫力、臨場感は満点ですが、主人公、宮部の体験したことのリアリティを増すための大事なシーンです。
空戦のシーンで宮部久蔵は、撃墜王との対決で撃墜できるがやらない余裕の腕前を示します。
また、教官になってからも戦闘機の弱点を補い、生き残る戦術を教えます。
ゼロ戦の操作に関しては群を抜いていました。
しかし、戦況が悪化してさらに飛行機の性能も優位性が失われる中で、軍上層部も特攻という戦術に移行していきます。
宮部久蔵の『生きて帰る』という考えは変わりませんが、そのために戦友を失う選択はできないと、信念が揺らぎ始め決断します。
この後は、映画『永遠の0』でお確かめください。
映画『永遠の0』監督
今作品の山崎貴監督は、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズなどでも知られるように、時代の空気感を再現するのがうまいです。
『永遠のゼロ』でもその持ち味は発揮されており戦中・戦後の時代を感じられ、さらに零戦の飛行シーンでは操縦席にいるようです。
どのシーンでも緊張感・没入感があり、傍観者にさせません。
空戦などのスケールの大きな映像の一方、静かな会話や細やかな表情によって登場人物の内面を浮かび上がらせる細やかな感覚も秀逸です。
『永遠の0』は、監督・脚本・VFXをこなせる山崎貴氏の力量が発揮されている作品です。
映画『永遠の0』感想
宮部久蔵は、生きて帰ることを第一考えていたのに、なぜ特攻で散ることを選んだのか?
映画を観て感じたのは、彼はどんな状況でも目的を果たすことを優先して考えているということです。
終盤のシーンに日本全体の戦況が悪化していくとともに、実戦に参加して戦闘に関して冷静に状況判断をしている。
劇中のセリフでも、敵兵器の性能がアップしていることや、ゼロ戦の性能維持の限界を把握している。
最前線で戦い生死に直結だから当然と言えますが、気合や根性ではありません。
冷静に総合的に全体を把握して、従来の宮部の戦術では生きて帰れないと考えたのではないか。
自身の体は帰れなくても思いや考え、物語を託そうと考えたかもしれない。
当時、それすらも叶わないかもしれないことだったのに、大石に賭けた。
宮部と大石の会話に「そうなったら、いいですね」という言葉があります。
はかない、まれ、上手くいく確率がとても少ない望み、まさに希望です。
特攻に対して搭乗員の気持ちはもう生きられる望みがないが、劇中操縦席に座ったとたん、その重苦しさから解放されるのかもしれない。
怖すぎると人間は笑ってしまうと聞いたことがありますが、その可能性もあったのかも。
この場面で静かに深く、こころが揺さぶられました。
特攻の命令を拒否しない、できない空気とはどんな精神状態であったかは凡人の私にはわかりません。
当時の搭乗員の手記を読んでみたくなりました。
映画を観て特攻を気持ち的には納得してしまうのですが、アタマではおかしいと思っています。
『永遠の0』は、宮部久蔵の人物像を描いていくことで、戦前、戦中の世間的な「命」に対する価値観を考えさせてくれます。
宮部久蔵の「命を捨てることより、生きることの方が大事」という現代なら当たり前のことを描くことで、逆に戦争当時の空気感を強く感じました。
宮部は戦友にも目の敵にされて異端でいるのを知らないわけではない、でも自らの思いを大切に生きる。
鋼の心です。
かといって背負っている国を守る任務をおろそかにするわけではない。
特攻に向かうときの穏やかな表情が切ない、もう二度と感じること、思うことができなくなるのに。
ラストは、思いと体が一つになった迷いのない表情が印象に残っています。
まさに鬼神です。
思いと行動が一致しているって、すがすがしい、二心ないことに惹かれてしまうのは私だけでしょうか。
これが戦争映画の危険な要素なのかも知れません。特に日本物には。
戦争の時代を扱った名作には、日常に関連しているものが多いので映画をはじめ深堀して考えを深めていきたいです。
まとめ
映画『永遠の0』はエンターテイメントとしても楽しめますが、戦争に関して深く考えさせてくれるテーマが多いです。
邦画の戦争映画は、主人公が将来に物語を託すものが多いように思います。
星に成った多くの方々の思いとは、何だったのか?
先人の思いは、私が思うに日本という国土と日本人がいるところを守ることだった。
日本国家という仕組みを守ろうとしたのではなく、自然、土、風、日本人を育んできたもの
守ろうとした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
