オープニングからインタビュー映像なので、予告編なのかと勘違いしそうです。
まさしく、これがトゥルーマンショーの最初の仕込みです。
話の展開がややこしいので、まずは紹介や前振りからスタートします。
主人公トゥルーマン役のジムキャリーは、コメディー俳優のくくりになるけれど、表面上の可笑しみは抑え、細かい演技で見どころ満載です。
この映画のテーマは結構シリアスですが、ジムキャリーの所作や動きの可笑しみがにじみ出ているので、笑いと涙、両方楽しめます。
最後に感想もネタバレギリギリのところでふれられたらと思います。
トゥルーマンショー主演ジムキャリーの細かい演技炸裂
トゥルーマンショーのジムキャリーは、コメディー俳優として笑わせてくれるだけの彼ではなく、不安や居心地の悪さもたっぷり感じさせてくれます。
たとえば、トゥルーマンが周囲に愛想よく振る舞う場面は一見すると明るく楽しいのですが、どこか芝居がかった空気があり、見ている側は次第に違和感を覚えます。
これは、彼の表情が単純な陽気さだけでなく、しらけた感じを目の動き、笑顔の止まり方、言葉のわざとらしさが絶妙で、観ている私は笑いながらも「何かがおかしい」と感じです。
この感覚こそが『トゥルーマンショー』の不気味さを支えていて、ジムキャリーの演技が作品全体のトーンを決定づけています。
作品中で唯一真実のトゥルーマンが、いちばんウソっぽい、そのギャップ。
背景にも、この気持ち悪さと比べて、街も人もすべてが快適で素晴らしい、
気候は穏やかで毎日晴れ。これだけでも私は違和感を覚えてしまいます。
映画監督のピーターウィアーは、音楽の使い方がとてもうまく、無駄にセリフで説明しないで、より自然に映画に没入してしまう。
トゥルーマンショー感想ネタバレぎりぎりで
ウソかまことかまことかウソかを映画にした感じです。
前半は、主人公も現実に違和感はあるけれど、それなりに生活しています。
しかし、毎日のルーティンをこなし、セリフのように同じことばを使い、過剰に愛想よくて、いちばんウソっぽい。
この段階では、主人公トゥルーマンは真実なのか演技なのかはっきりしないです。
あるきっかけから、長い間ずっと心の隅にひっかっかていた違和感をはらしたくなり動き出す。
私も、長い間引っかかっていることはありますが、実際は放置しています。
主人公トゥルーマンは、前向きにしかも周りに気を使いながらも、実現に向けた情熱を持ち続け行動しています。
目的を達成するために手がかりを探そうとしますが、周りは、言ってみれはウソつき村の住人ですから、何がほんとか見ている側も一緒に混乱、考えさせられます。
パートナーや友人、親までが共犯なのですから「信じてくれ」と言ったら「信じるな」人が発する言葉がこれほどあてにならないか!
ことばをことばで証明しようとするとより分からなくなってしまう。
ことばをどうして信じられるか?その人を信用しているか否かで判断してます。
その人は私にウソはつかないと思い込んでいるだけです。(世知辛いですが)
主人公が、自分でほんとを確かめるためには、頭で考えているだけではしょうがないので、行動、やってみて確かめるしかない。
それも全てプロデューサーの想定内で封じ込められ絶望、あきらめてしまう。
私も、この映画を観終わるまでは自分自身にはらをたてながらも流され、考えないことで幸せになろうなんて考えてました。
でも、さすが映画だ。
世の中捨てたもんじゃない、って展開になりワクワクがはじまります。
主人公は、絶望と諦めで終わりと思わせます。
やられたふりでもう観念しましたポーズで相手を油断させ、その間に計画し
着々と準備を進めていたんですね。
私だと、あきらめるか、キレてしまうかの二択です。
悪く言うとあきらめが悪い主人公が、執念深く目的達成に向けた計画をたて、行動していくことはいくつになっても見習うものがあります。
いちばんの見どころ、プロデューサーとトゥルーマンの対決のシーンは、まるでスターウォーズのダースベーダーとの対決を思わせます。
息ができないようなむごく、苦しいシーンが続き、まさにプロデューサーが望んだ展開にプロデューサー自身も興奮して計算されていない何かに没入する。
残酷さを与え続けられても、耐え生き延びたのだ。
このシーンでトゥルーマンがヒーローになった。
全てプロデューサーが設定したセットや役者でも、人の生きられるか否かは予測できない。
これはすべての設定を超えた、まさに主人公トゥルーマンの力なのだ。
命の話は作り物ではできない。
終盤のシーンはまるで宗教的だと感じた。
終盤、意地悪な大きな力が人間を試みにあわせ、これでもか、これでもか、といたぶる、ほんとヒドイ奴ですね。
最初は、やさしくなんでもオッケーてな感じだったのが、気に入らないと暴れる
昭和のおやじのようです。(笑い)
ラストの対話のシーンでは、プロデューサーが主人公トゥルーマンにはじめは寄り添うな言葉をかけ包容力さえ感じさせる感じですが、最後自分の意思に従わせようと恐怖で相手の決断をコントロールしようとします。
ここで、主人公の選択には恐怖を克服する勇気が必要で、沈黙しているシーンには共感しました。
こたえは、明るくいつもと変わらない様子で、プロデューサーから見えない世界に消えていく。
私も、何か大きな力に守っていて欲しいと図々しい思っています。
でも、すべてを操作されていると感じられるような世界は嫌だなとも思う。
ラスト、主人公のオープニングのセリフとエンディングのセリフが同じですが、あいさつする相手が変わったと感じました。
どうしてそう感じたかと言うと、ラストシーンでは、トゥルーマンがショウの主人公とはっきりわかってショーを観ている人たちに挨拶するような動きをしたから。
主人公のあたまの中にはカメラがないのでわからないが、トゥルーマンショーのエンディングらしかったです。
あいさつの動作が皮肉たっぷりでした。
私の希望を一つ、ウソつき村の中で本当であってほしいと思ったのっは、初恋相手が、最初はキャスティングされていても、恋のいくえまではプロデューサーの仕込みでないと。
そうじゃないと、恋愛は大きな力の支配下になってしまう。
こればかりは自由であって欲しい。
でも不完全でコントロールできないから、トラブルも多いけれど。
ま、それも本当の映画プロデューサーの仕込みですよね。
最後に
『トゥルーマンショー』は、はじめて観るときは設定の奇抜さが印象的でした。
しかし観なおすと、序盤から散りばめられた違和感や、周囲の人物の不自然な言動、商品広告のような会話、カメラ位置を意識した演出などに気づきます。
さらに年齢や経験によっても見え方が変わりやすく、若い頃は脱出劇として楽しめても、大人になってから見ると特に監視社会やメディア消費の怖さがより強く刺さりました。
こうした再発見の多さは、作品としての厚みの証拠です。
一度観て腑に落ちないところがあってもやもやしていたら、観なおしてみるのも映画の楽しみですよ。
