映画『クレイマークレイマー』のタイトルを聞いてまず、えっと思いました。
離婚に関する映画ときいていたのでタイトルに深い意味でもあるのかと思い調べたら、原題は『Kramer vs Kramer』でクレイマーは人名でした。
調べるまでは、苦情のクレームから連想して、もんくのつけ合いの内容かと思ってました。
クレイマーさんは主にドイツ語圏や英語圏に見られる「商人」を意味する語に由来する姓だそうです。
本題に戻って『クレイマークレイマー』は公開された1979年にアカデミー賞5部門受賞と話題の作品です。
受賞部門は、主演男優賞、助演女優賞、作品賞、監督賞、脚色賞でアカデミー賞全体で約20部門なので、主な賞は総なめでした。
主演のダスティンホフマンはもちろん名演でしたが、共演のメリルストリープは、数少ない登場で存在感がすごいです。
画面に映っていなくてもバッチリ存在を意識させます。
逆に怖いくらいです。
メリルストリープは、公開時は30歳ですがすでに演技はずば抜けていて、現在の活躍も予想通りですね。
彼女の有名作品はたくさんありますが、今でも『プラダを着た悪魔』のミランダ役など話題が尽きないですね。
メリルストリープも含め、話題作『クレイマークレイマー』のあらすじ感想をまとめましたので、よろしくお願いいたします。
映画『クレイマークレイマー』あらすじ
公開 1979年 アメリカ
監督 ロバート・ベントン
原作 エイヴリー・コーマンの小説
主なキャスト ダスティンホフマン、メリルストリープ、ジャスティンヘンリー
『クレイマークレイマー』は、前後半大きくふたつの場面で話が展開いきます。
前半は、主人公テッドを軸に仕事や家庭が描かれ、後半はテッドとジョアンナとの法廷でのやりとりが中心です。
物語は、広告会社で働くテッド・クレイマーが、妻ジョアンナから別れを告げられるところから始まります。
別れを告げられた夜は、テッドにとって仕事が成功したことを祝うべき日でした。
真逆にジョアンナに家を出ていかれ、残されたテッドは、7歳の息子ビリーと二人で暮らすことになりますが、仕事人間で家事も育児もまるでダメです。
それでも奮闘して今までは仕事に没頭し、子どもに向きあってこなかったテッドですが少しずつ父親になっていきます。
作中、父子間関係が落ち着いてきたシーンで、父と息子が一つのテーブルで会話はないが静かに食事をするシーンが良かったです。
私事ですが、妻が里帰りしたとき、幼い息子と二人で静かに(互いに自分のペースで)過ごした記憶がよみがえりました。
物語は、父子関係が深まって、このままいくのかというタイミングで親権をめぐる裁判が始まります。
後半は、法廷を舞台に親権をめぐっての対立や、価値観のぶつかる場面が展開されます。
そして、裁判結果後のテッドとジョアンナの思いの変化が見どころです。
映画『クレイマークレイマー』キャスト・スタッフ
監督、脚本のロバートベントンは、『クレイマークレイマー』でアカデミー賞監督賞、脚色賞を受賞しています。
彼はインタビューでも答えていますが、主演をダスティンホフマンがやることを前提にあて書きしたほどで、思い入れのつよさを感じます。
さらに、撮影中もダスティンホフマンたちと話し合いを繰り返しながら脚本を練りに練ったとのことで、リアリティーが増したと思います。
ロバートベントン監督の作風は、とても自由で撮影現場で役者と話し合い、納得すれば変更に柔軟です。
主演のダスティンホフマンは、アドリブが多い役者で監督をいい意味で驚かすことが多いです。
ダスティンホフマンがアドリブを入れるのを知っているのは、撮影スタッフだけにはもちろん伝えています。
写らなくては意味ないですから、当たり前ですよね。
細かく見ていくと、ダスティンホフマンが微妙な動きをして、他の役者が違和感なく反応しているシーンがあるので、探してみてください。
彼のアドリブで、共演者の決められた演技でない感情表現が引き出され、より作品に深みを増します。
メリルストリープは、撮影当時30歳でこの映画でアカデミー賞を受賞して注目されますが、演技の実力はこの頃から認められています。
彼女の演じるジョアンナは、家を出て行く時、子どもを置いていく一般的に言えばとんでもない女性ですが、好感度が高く冷たいというよりも限界まで追い詰められたと思える演技は共感できます。
それと、彼女の息子ビリーに対する愛情表現でベッドでビリーに向けられるまなざしや声だけで、十分に大切に思っているかがわかります。
演出はいらないかも知れないです。
彼女の演技はシリアスなものばかりではないので、ラブコメディーのこちらの感想も述べていますので、よろしかったらご覧ください。

映画『クレイマークレイマー』感想
原題のクレイマーvsクレイマーと知って改めて観なおして感じたことは、この映画は法廷劇です。
原作の要約を読んでみて、ヒューマンドラマの面ばかりを強調すると違うのかなと思いますが、前半の家庭をめぐるエピソードは、思わず引き込まれ嬉しかったり、悲しかったりで気持ちが入るので十分楽しめました。
でも、後半からクライマックスにかけてビリーの親権をめぐるシーンを見て、前半のテッドとビリーのシーンは、原告の証明のようにも感じられ、ちょっと寂しいです。
冷めた視点で観ると嫌われますが、エピソードごとに、少しずつ満足してよかったという訳にはいかない。
法廷は親権を子どもへの愛情だけを審理しているのではなく、より親に適しているかの判断をすることなんだな。
親権を勝ち取るためにどれだけ親にふさわしいかを主張し合うのって、大事なんだろうけど難しい問題なあ。
家族のことを一番考えなければいけないのに、それから目をそらしてきたことに反省させられます。
テッドは裁判に負けて控訴しようとしますが、弁護人から裁判に勝つためには、ビリーを裁判に出してもらう条件を出され、即座に控訴を撤回しました。
テッドの性格からして勝負から逃げないかと思ったが、ビリーを悲しませたくない親の愛情だと思えてほっとした。
アメリカでは、40年前からこれらの問題と付き合っていると思うと永遠に文学や映画のテーマなんだろう。
最後に、映画の中で見比べると面白いシーンを二つ。
そんなの言われなくてもわかってる、と言わないでください。
まずは、フレンチトーストをテッドとビリーでつくるシーン。
もう一つは、エレベーターのドアが閉まっていくシーン。
こちらは、意味が深いので皆様でどうぞどうぞ楽しんでください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、お目にかかれることを楽しみにしてます。
