『アルジャーノンに花束を』は何度も映画、テレビドラマで映像化されてきたのはどうしてでしょうか?
平たく言えば、映像化するネタ満載だからだと思います。
思いつくテーマだけで「知能」「孤独」「幸福」「人間の価値」などあります。
作品が発表されたのは1959年 アメリカ合衆国の作家ダニエル・キイス原作です。
当時に提示されていたテーマが、時が過ぎてもなお生きているんですね。
さらに、この内容に触れた表現者の人が、より大きく作品をふくらませています。
『アルジャーノンに花束を』は単に原作の映画化でなく、作り手ごとの視点の違いが味わえます。
今回は、フランス版映画『アルジャーノンに花束を』のあらすじ感想と原作との比較をまとめてみました。
映画『アルジャーノンに花束を』あらすじ
2006年公開
フランス・スイス合作
原作 ダニエル・キイス
監督 ダヴィッド・デルリュー
ジュリアン・ボワスリエ(シャルル)エレーヌ・ド・フジュロル(アリス)ほか
映画化は、アメリカで1968年 邦題「まごころを君に」でされています。
他にもカナダでも映画化されています。
今回フランス版には、新たな設定が加わっています。
フランス版では、主人公の名前がシャルルですがこれはチャーリーのフランス語読みです。
そんなの知ってるよと言われそうですね。(笑)
まずは印象として、フランス版はアメリカ版より落ち着いていて、悪く言えば、冷たく寂しい感じがします。
それでは、物語の主人公シャルルは、知的障害がありながらも一生懸命なキャラです。
内面では、小さい頃に母親との確執から、もっと賢く頭がよくなりたいというコンプレックスをもっています。
その思いが、知能向上の人間での治験一号になり、知能の変化に従って、主人公が喜び望んでいた以上のことが、彼を悩み苦しめる事態になります。
たとえば知能が急に向上しても、人付き合いで他人への想像力がないので、一般人からみたら当然もめるだろうという行動も、教わっていないことは分からない。
何もかも、初めてのことばかり。
そういう自分自身も、なんでも経験済みなわけではないので考えさせられます。
そうは言っても、そうなったらいいのになあ、たとえば頭が良くなればすごいアイデアが湧いてきて、思い通りになるとか、の思いは拭い難いです。
でも、そういい事ばかりではないようです。
知能を手に入れるのは、一面的には大事なことですが、行き過ぎてバランスが崩れると「〇〇と天才は紙一重」そのものです。
それも、短期間での急激な変化では尚更です。
そんな主人公の内面の変化を中心に物語が進んでいきます。
映画『アルジャーノンに花束を』感想
小説の原作も読んでいたので、場所も人物設定もいくつか異なり全く別の物語のようでした。
原作の映画化は期待していなかったので、逆に原作との印象の違いがあり面白かったです。
フランス版では、知能が改善していくことは重視されていないと感じました。
これに限らず思ってみれば、上手く行ったことを説明するのってむずかしいですよ。
それを長々とやられたら、できない人には自慢話にしか聞こえない。
だから、さらっとスルーで進んだと感じました。
フランスの作り手は、何かを獲得していくことより、失うこと、痛みを伴うこと、そのサイドが大事なようです。
私の感覚では、フランスはアメリカより個人主義の先輩だからか、静かに一人悩むシーンが多く、そして暴れます。
アメリカでは、登場人物の内面を表すシーンは会話でより強調します。
会話相手が、登場人物の気持ちを強調するようなキャラなので、わかりやすいし、しっくりきます。
今回、フランス版で映画『アルジャーノンに花束を』を観て異なる印象を持ちました。
以前は、徐々に、手にした知能が元に戻る喪失感だけでした。
でも時間を空けて観ると、主人公シャルルのこころのレベルは上がったんじゃないか、という感じがしました。
主人公の表情が明るく感じられて、花を贈るシーンが印象的だったから。
科学的にはナンセンスと笑われますが、記憶しているところは同じなのに、あたまとこころは別にあるんじゃないかと。
知能の向上と退行を経験してIQレベルでは元に戻ったけれど、その経験は別のところでは記憶されているじゃないかと、それでこころは成長したんじゃないかと思った。
人の価値は、知能に関係なく「花束を贈る気持ち」
人を思いやる想像力が大切なんだ、というメッセージと受け止めました。
『アルジャーノンに花束を』原作・映画・テレビドラマ比較
原作、映画、ドラマを比較すると、共通しているのは「人間の価値は知能だけでは決まらない」というメッセージだと思います。
ただし、その伝え方にはメディアごとに違いがあります。
原作はチャーリーの内面変化を通して、知ることの喜びと残酷さを読者に直接体験してもらおうとしています。
小説という方法で、拙い文字・文章表現が進歩したり退行したりを読者は経験でき、より内面の変化にコミットできます。
映画は、登場人物の視線や沈黙など表情を観ることで孤独や喪失を静かに感じさせます。
テレビドラマは何話も連続できるので、より日常に近い設定で、人間関係を広げられるので、感情が入り、ドラマに入り込みやすいです。
つまり、原作は内面、映画は余韻、ドラマは関係性に強みがあるのです。
どの作品から入ってもよいですが、比較することで『アルジャーノンに花束を』という物語の奥行きがさらによく見えてきます。
最後まで、読んでいただいてありがとうございました。
